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パンティラ★いちご100% 43チラ★パンティラ

976 名前: 投稿日:03/05/28 00:47 ID:/gcQ4I4R
>>974 うん・・、まぁ俺も自分がキモイほどのヲタクだってことは自覚しているのだが。
   でもひとりのキャラにあそこまでいれ込める感覚がわからんのよ。
   もうなんてゆうかキャラに惚れてる自分に酔っているというか・・。
   (まぁそれはキャラを漫画に置き換えれば俺も同じか)

>>975 あるいちごアンチスレに、「この漫画は良くも悪くも少女漫画の域を出ない」
という要旨のことが書かれていた。
・・・・・・・恐らく俺がこの「いちご100%」に感じていた違和感というのは
要約するとそういうことなんではないかと思うようになった。
比べるのはアレかも知れんが桂正和のI’sはおおよそ納得しながら読めていた。
あまり不満はなかった。それはなぜか・・・・。
正解かはわからないが俺なりの答えを言うと
ひとつには男が男の立場から恋愛を描いていたから
もうひとつは桂は少女漫画を描いたことがなかった
ということなのではないだろうか。
つまり、河下はもともと少女漫画を描いており、また自分も女なため
女の子の立場から見た恋愛ストーリーなら少女漫画風に描けるわけである。
それなら読者の女の子たちも十分違和感なく読むことが出来るわけである。
また男の桂が少年誌で男の妄想全開で男の立場から見た恋愛ストーリーを
描いてももちろん今までの数ある作品を読んでわかるとおり読者の”男の子”
たちの共感を得られたわけである。
ここに桂と河下の少年誌に恋愛物を書くというスタンスというか根本的な考え方の
違いというのがあるのではないだろうか。
河下が「いちご100%」で真中を描くとき、真中の言動は当然河下が、恐らく
こういう場面なら男の子はこうするだろうという”思い込み”によって描かれている。
だがこれは致し方ないこと。河下に男になれなんて無茶な注文をするわけにはいかないからだ。
しかしだからといって女性的な考え方で真中を動かしていいなんてことにはならないだろう。
I’sでは男の桂が同じ男の主人公瀬戸一貴を自分の考えであるいは自分の経験を当てはめそのまま描くことが出来た。
それでいいのである。男なんてもとよりスケベで時に行動的で時に小心者である。まさに瀬戸一貴そのままだ。
作者が主人公に共感し、入り込んで描ければ男にとって納得できる恋愛ストーリーが描けるだろう。
・・・・だが河下は・・もう思い込みのみで真中を動かすしかないわけである。
まだ、夫がいて、デートのとき何考えていた?などと質問できるような立場ならよかったのだが
どうやら河下は独身のようである。頼れる男はいない・・。
(アシの阿部?阿部は微妙・・。編集?編集は結局I’sをなぞるだけだろう)
だからしかたなく女性的な考えのみで恋愛物を書いているわけで、
そうすればどうしたって少女漫画風になってしまうのは避けられないだろう。

・・そこが俺には許せんのだ。なんで少年誌に少女漫画を載せるのか?
別なスレでまた別な人が言っていたが、もっとエロを多くして青年誌に書けばよかったのに
という意見があった。全くその通りである。ある意味賛同できる。
難しいかも知れんが、桂のポストに座らせられた以上なんとか世の男子読者の
共感を呼ぶ漫画を描いて欲しい。このままじゃ単なるキャラ萌え漫画になるぞ。
それでいいのか?河下。俺は一読者でしかないがそんなのは気に食わない。
少年誌に掲載されている少年向けの漫画なんだということをもう一度思い返して欲しい。
・・そうすればもっと納得できストーリーに共感できる漫画になるだろう。

プロ意識とかプライドとかではなく、そもそもの考え方が切り替わっていなかった
ということなのかも知れないな。


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